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divergent's blog

ブログは報道機関ではなく、一般人の意見です。鵜呑みにはしないでください。Twitter→@convi193

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「お仕置き」「体罰」「虐待」よくよく調べたら全部いけないことらしい

(2016/6/4 fixed)

現在、いたずらをした子どもを、親が「お仕置き」や「しつけ」と称して山林に置き去りにした結果、子どもが行方不明になってしまったという事件が問題になっている。この事件には自分の面目を保つために警察に嘘の申告をした親の問題もあるが、ここでは、しつけと称して子どもを置き去りにする行為について考える。

 

この事件があったのは北海道の山林であり、5月末とはいえ、気温が低く、熊も出るという報道がなされている。子どもの服装についての情報は不明瞭だが、数日間生き延びられる食料を持っていないことはたしかだろう*1。子どもをこうした危険な場所に置き去りにしたことについて、ネットでは親の非人道性を批判する声がある。一方で、しつけとして子どもを置き去りにする行為はよくあることだという同情の声も散見される。

 

残念ながら、一連の事件は、1組の親を批判し、あるいは擁護するだけに終止することのない(終止すべきではない)根の深い問題である。別の言葉で言い換えるならば、世界的に報道されるような普遍的な構造上の問題なのだ。


体罰とは

国連*2では、体罰(Physical Punishment, Corporal Punishment)を以下のように定義している。

The Committee defines “corporal” or “physical” punishment as any punishment in which physical force is used and intended to cause some degree of pain or discomfort, however light.

つまり、体罰とは、肉体的な力を用いて、どんなに軽度であっても一定程度の痛みや不快感を生じさせることを意図した、あらゆる罰(Punishment)であると定義している。

 

一方、アメリカ保健福祉省*3によれば、

Discipline is the process of teaching a child the difference between acceptable and unacceptable behavior. Good discipline should be a positive force focusing on what a child is allowed to do. The goal of discipline is to help a child change impulsive, random behavior into controlled, purposeful behavior, and discipline should be reinforced with teaching, firmness, and reminders.

しつけとは子どもに容認しうる行いと容認できない行いの違いを教える一連の過程である。良いしつけは子どもに許されていることに焦点を当てたプラスの力だ。しつけの目的は、子どもが衝動的で手当たり次第の行いを制御された目的のある行いに変えるための手伝いをすることである。そして、しつけは教訓や力や注意によって強化されるべきである。

 

(2016/6/4 added

ここまでで、体罰は肉体的・精神的な痛みを伴う罰であり、しつけは痛みにかかわらず、子どもの行いを改善する行為であることがわかる。その手段のひとつとして、力の行使(firmness)があるが、教訓(teaching)やその反復を含む注意(reminder)も手段のうちに含まれる。さらに、罰の定義を調べると、以下のようになっていた。)

 

Punishment is one technique of discipline. It may be physical–a spank or slap; or psychological– disapproval, isolation from others, or withdrawal of privileges. The goal of punishment is to inhibit unacceptable behavior.


お仕置き(=罰=Punishment*4 )とは、しつけの技法のひとつである。それは肉体的(スパンキングや、はたくこと)、あるいは精神的(非難、他者からの隔離、特権を奪うこと)である。お仕置きの目的は、容認できない行いを抑制することである。


つまり、お仕置きはしつけの一種であり、「容認できない行い」を(肉体的であれ、精神的であれ、)暴力的な手段でやめさせる行為である。


お仕置き自体には効果はない

お仕置きだけでは教育的効果は望めないとアメリカ保健福祉省は指摘している*5。お仕置きだけすれば効果があるのではなく、容認できない行いの代わりにどうすればいいのかを教えた場合にのみ抑制効果があるのだ。しかし、お仕置きだけをすると、しばしば、いかにお仕置きを避けて(他人の目を盗んで)その容認できない行いをするかを覚えてしまう。

それどころか、厳しいお仕置きは子どもに望ましくない、不利な影響を及ぼす。親からの罰を、子どもは攻撃を奨励する教えとみなし、強いものが弱いものに対して力を持つということだけを学んでしまう。それに加え、子どもは憤慨し、対抗心あるいは強い屈辱を覚えてしまう。そして、むしろ、悪い行いに対する自制心の増長を遅れさせてしまう。お仕置きだけをしても、子どもに良い影響は与えられないのだ。


お仕置きは犯罪である(かもしれない)

日本の児童虐待防止法*6では、お仕置きの一部が罪に当たることが示唆されている。

第十四条  児童の親権を行う者は、児童のしつけに際して、その適切な行使に配慮しなければならない。
2  児童の親権を行う者は、児童虐待に係る暴行罪、傷害罪その他の犯罪について、当該児童の親権を行う者であることを理由として、その責めを免れることはない。

 

言い換えれば、保護者から子どもへの犯罪は、たとえ身内であっても、他人から他人への犯罪と同等として扱われるということだ*7。当然、子どもが凶器を持ち出して親を殺害しようとしたなどの極めて限定的な状況においては正当防衛が許されるだろうが、それ以外の場合は容認されるべき行いではない。つまり、お仕置きは、時と場合によっては許される選択可能な行動では決してないのだ。

では、子どもに直接手を下さない暴言であれば許されるのだろうか?いや、残念ながら許されない。精神的暴力(お仕置きの一種)に当たるためだ。指導の名の下に子どもに暴言を吐くのであれば、前述の通り、大人への暴言と同様、違法性があるだろう。


いけないとわかっていてもやっている

都合の悪いことに、発展途上国の多くの親が、悪いことだとわかっていても、他に手段がないのでお仕置きをしているようだ*8。もちろん、文化や伝統によって体罰や暴言が肯定されている場合もあるが、いけないことだとわかっていてやっているとなると、悲劇性が強く、規制しづらい。だが、他に手段がないという表現は適切ではなく、他の手段を思いつくことができなかったというのが正確な表現である。実際に、小さな子どもには説明によるしつけはできないと思っている親も多いらしい*9

 

だが、スウェーデンなどの体罰禁止国では暴力や暴言によるしつけは行われていない、という現実からわかる通り、決して無理ではない。つまり、賢い親であれば、体罰や暴言を使用せずに子どもに善悪の区別を教えることができる。体罰禁止条項は、教育水準が高い国ならではの制度である*10


日本の児童虐待防止法は十分なのか?

日本の児童虐待防止法は、軽い体罰を禁止していない。日本の「児童虐待」の定義は極めて限定的である。

第二条  この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。
一  児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
二  児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
三  児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
四  児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

 

 

怪我(あざ)がなければ、あるいは怪我をする恐れがなければ、虐待ではない。しつけの目的で子どもを1人にしても、あるいは家から追い出しても、ネグレクトには当たらないため、虐待ではない。著しくなければ暴言も拒絶的な対応も認められる。それに、将来にかけて超長期的に影響を及ぼすようなお仕置きに関しては、定義から外れてしまう。

 

だが、日本は義務教育の就学率が高いため、多くの人が暴力を用いずとも、知力で子どもに物の善し悪しを教えられるはずである。たとえ暴力を全面的に禁止しても、子どもを育てられる土壌がある。もちろん、日頃のフラストレーションを子どもにシフトしてしまう大人はいるかもしれないが、(全面的に、あるいは、ある種の諦念として部分的に)しつけの名目で体罰をすることを肯定している場合とは別問題である。善悪の分別がつく大人が多い日本においては、特別な罰則は設けずとも、虐待の定義を拡大し、罪とすることは可能なはずだ。


習ってないからわからない

とはいえ、しつけの基礎が身についていないと、臨機応変なしつけをすることは難しいだろう。現状、筆者の覚えている限りでは、家庭科や保健体育で習ったのは、子どもの成長過程とその特徴だけだ。習っていたとしても、子どものしつけ方は覚えていない。怪我をともなわない体罰や子どもの発達に影響を及ぼす「著しくない」暴言の違法化が進んだとしても、暴力をともなわないしつけがしっかりできなければ、教育に欠ける大人を生み出すことになりかねない。法律の拡充の是非にかかわらず、親になるための教育の拡充が求められていることに変わりはないだろう。

 

 

1組の親の話から世界まで、随分遠いところへ飛んでしまったが、知性に欠けるしつけはすべきでないことに変わりはない。子どもの支配を前提とした、理由や目的のない体罰やしつけはもってのほかだ。子どもがいない身として言うのは傲慢かもしれないが、私が子どもであった事実は揺るぎない。もちろん、わかっていてもやってしまうことはあるのだから、罪(に問われる可能性のある行為)であることだけは念頭に置いておいてほしい。

それから、暴力や暴言を使う親がいる限り、暴力や暴言を使う親は再生産されてしまう。たとえ学校で教えてもらえなくとも、本などで自分を教育することは忘れるべきではない。

*1:2016/6/4現在の報道では、子どもは発見され、水しか飲んでいなかったことが判明した。

*2:http://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CRC%2FC%2FGC%2F8&Lang=en , p.4.

*3:Carlson, “What's the Difference Between Discipline and Punishment?”, https://www.childwelfare.gov/topics/can/defining/disc-abuse/ .

*4:英字メディアの見出しでは、しつけを意味するdisciplineではなく、罰やお仕置きを意味するPunishmentが使われている。日本語でお仕置きというと軽く柔らかいイメージがあるが、英語では罰もお仕置きもPunishmentである。

*5:Carlson, “What's the Difference Between Discipline and Punishment?”

*6:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO082.html

*7:ただし、尊属殺人の厳罰化が違憲である以上、子どもへの犯罪を一律に厳罰化することは難しいだろう。

*8:http://www.unicef.org/publications/index_74865.html p.98.

*9:http://www.unicef.org/publications/index_74865.html p.105.

*10:http://www.kodomosukoyaka.net/activity/law.html

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